鼻緒の履物の歴史

鼻緒の履物の歴史

着物や浴衣に合わせて履物といえば、草履や下駄ですね。

 

現在では様々な材質で、いろいろなデザインのものがあります。

 

いったいどのような経緯で今のようなものができてきていったのでしょうか?

 

古代の日本から見てみましょう。

 

古代の日本では、基本的に裸足で生活していて、上流階級の一部だけ履物がありました。

 

しかも、履いていたものは「はにわ」など出土したものから見ても、鼻緒のものではなく、靴型ものだったようです。

 

弥生時代後期には、田下駄(水田作業時、泥に足をとられないように体重を分散させる目的では履くもの。土台の裏には歯が無い平らな作り。)が使われていた。

 

鼻緒の付いたものはこれが最初だが、働く際の道具としての役割しかなかった。

 

奈良時代では中国の影響で、大宝律令がで、その中の衣服令によって身分の高い貴族たちの履物が定められるようになった。

 

その履物は靴型の物で、身分によって動物の毛皮や布、ワラで作られたものでした。

 

鼻緒の履き物が普段から履かれるようになったのは、平安時代からになります。

 

足駄(2枚の高い歯の付いた下駄。雨の際に履く)が下駄の原型として登場し、武士や婦人に履かれました。

 

鎌倉時代、武士が世を治めるようになると、宮廷や公家に履かれていた靴型のものは消えていき、ワラジや草履が一般的になっていきました。

 

武士は戦の際、使いやすい足半草履を履くようになります。

 

足半草履は台座が爪先から足裏の半分くらいまでしかなく、爪先に力を入れても鼻緒が切れにくく、ぬかるみでも滑りにくい。

 

泥も跳ねあがらず、足裏に砂利が挟まる事もないという事で便利だった。

 

もちろん普段は草履や下駄等を履いていたようでした。

 

室町時代はワラジの鼻緒やかえし(かかとを固定する縄部分)で靴擦れのような状態になるのを防ぐため、足袋も履くようになります。

 

戦国時代までは戦争が絶えない事で余裕もなくし履物に変化があまり起きませんでした。

 

しかし、江戸時代に入ると平和になり、足半草履は姿を消し、元禄(1688〜1703)の頃には、足駄より低い日和下駄が流行し、雨の日の用途ではなく普段使いの下駄が出回り始めました。

 

また、塗り下駄(漆塗りの下駄)や駒下駄というくりぬき下駄、表付き下駄(木の土台で足の裏があたる所に竹皮で編んだものや畳を付けた下駄)ビロードや革を張った中貫など、見た目の美しいものや、より心地よいものを求める風潮が高まっていきました。

 

寛延3年(1750)「男女塗り下駄禁止令」が出ましたが、庶民にとって手の届く贅沢品であった美しい下駄はそれをすり抜けるようにして江戸末期まで流行していきました。

 

幕末になると西洋の軍事用の洋靴が輸入され、明治に入ると洋服が取り入れられるようになり、洋靴が広まっていくようになります。

 

その流れで現在では、普段は靴という物がすっかり定着していますね。

 

でもこうしてみると、不思議なものですね。

 

靴という存在は、古代の日本の上流階級にはあったわけですし、奈良時代には中国の文化の影響を受けた履物を定めた(中国は靴の文化)のですから、もっと広がりを見せてもよかったはず。

 

動物を食べる機会が少ないからその分材料となる皮が手に入らなかったからとしても、木靴っていう手もあったはず。

 

それなのに、平安時代には鼻緒の履きものが登場して、それが広まっていった。

 

日本には秋や冬がある。
なのに、鼻緒物が選ばれた。

 

ふと私の亡き父を思い出しました。

 

父は年間通して素足で鼻緒サンダルでした。(もちろん結婚式やお葬式等の出席には靴下と皮靴でしたが)

 

もしかして、昔の日本人は足が冷えなかったのでしょうか?

 

靴を履くとかえって熱で蒸れて困ったのでしょうか?

 

だとしたら、冷え性の私からすると何ともうらやましい話です。

 

いつかこのちょっとした謎が解決する日が来るといいですね。

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